嗅覚の仕組みと記憶について解説【香りが記憶と感情を呼び起こす】
私たちの身の回りにはさまざまなにおい、匂い、臭い、香りであふれています。
淹れたてのコーヒーの香り、洗い立てのシーツの香り、飲食店から漂う食欲をそそる匂い、飼い犬や飼い猫のお日様の匂い、季節の巡りを感じる桜の花の香り……
それらのにおいを嗅いだとき、なぜ私たちは気持ちが穏やかになったり、空腹感を感じたりするのでしょうか。
それは、においは脳の原始的な部分を刺激して、私たちの理性を介さず記憶や感情にダイレクトに作用するからです。
この記事では
嗅覚のしくみ
記憶・感情と香りの関係
について解説しています。
嗅覚がなぜ私たちの感情を揺り動かし、記憶を呼び起こすのか。
その理由がわかれば、香りを使って気持ちを上手に切り替えられるだけではありません。
においの仕組みをうまく利用すれば、人間関係やビジネスシーンで一歩リードすることができますよ。
嗅覚のしくみ
においが脳に届くまで
におい分子は40万種類以上あり、ヒトはそのうち1万種類以上もかぎ分けられるのだそうです。(参考:日本消臭抗菌予防株式会社より)
これほどの数のにおいをどのようにして感じているのか。
少し難しい話になりますが、「香りが感情や記憶を呼び起こす理由」にもつながるお話ですので、少しだけお付き合いください。
空気中にただよっているにおい分子は、鼻の奥にある嗅上皮に存在する嗅覚受容体にカチッとはまると嗅神経を刺激して電気信号が発信されます。
その信号が嗅球(嗅覚情報を統合する、嗅覚の一時中枢)を経て、梨状皮質(嗅覚系に関わる大脳皮質の領域)、扁桃体(情動反応に関わる部分)、視床下部、大脳皮質嗅覚野へと伝わり、嗅覚野でにおいの種類が分類されます。
におい分子(鍵)は嗅覚受容体という鍵穴にはまらないと、においとして認識されません。だから、ほかの動物ではかぎ分けられる匂いも、ヒトには感じられないのです。
ヒトの嗅覚受容体は400種類あります。
受容体が400種類だけじゃ、1万種類のにおいを嗅ぎ分けられないんじゃ?
実はこの鍵穴(嗅覚受容体)の穴は一つだけでなく、いくつかの形を持っています。
嗅球では、どの受容体が活性化されたか、複数の受容体の組み合わせをもとに、においを識別しています。
この組み合わせパターンが多種多様なにおいを嗅ぎ分けるしくみになっているのです。においの濃度が異なっていても、違うにおいとして判断されています。
そして、識別されたにおいが脳内に「におい地図」として構築されることで「⚪︎⚪︎のにおい」と認識されるのです。
においが脳に届くと、脳はこんな反応をする
においの信号は視床下部(自律神経の中枢、本能や情動行動を司る)や大脳辺縁系(古い脳であり情動、記憶、本能行動などを司る)、海馬といった脳の深いところに届き、自律神経や内分泌系、記憶想起・感情や情動行動に影響を与えることが近年の研究で明らかになってきています。
脳の原始的な部分、本能を司る部分へ直接信号が送られるために、物体が何か、どういうことからこの匂いが生じているのかといった思考(理性)を介す前に体が反応します。
においの刺激が記憶や情動、危険回避などの行動に結びつくので、社会行動にも深く関与しています。
良い香りを嗅ぐと考える前に幸せな気持ちになったり、腐敗臭を嗅ぐと、吐き気を催したりするのも、におい信号が本能的に、無意識のうちに身体に働きかけているからです。
いやな臭いって、オエってなるし近寄りたくないよね……
もっとも脳へ伝わるプロセスが短い嗅覚
嗅覚は、視覚、触覚、聴覚、味覚の五感の中でも脳に伝わるプロセスがもっとも短い感覚です。
視覚や聴覚では経由する器官や脳の処理がいくつもあるのに対して、嗅覚はにおい分子が嗅覚受容体と結合した瞬間に電気信号に変換され、嗅神経を通って脳へ伝わります。
なぜ嗅覚の伝達プロセスが短いのかはまだわかっていないそうですが、動物が生き残っていくために最速で判断せねばならないのが「におい」なのではと言われています。
そう考えると、嗅覚はとても原始的な感覚ですね。
嗅神経は再生する
一般的に、神経細胞は一度細胞死してしまうと、再生することはできません。
しかし、その中で数少ない「再生できる神経細胞」が嗅細胞や海馬の細胞などです。
脳の神経細胞は、老化以外にも頭をぶつけたり、アルコール摂取や喫煙で簡単に細胞死を起こします。
神経細胞が減少しても、外部からの刺激があれば、他の神経突起や神経細胞体にシナプスが作られます。
何度も繰り返し情報が伝わると、その部分が補強されて信号の通りが良くなります。
砂地に水が流れ続けると、水の通り道がどんどん幅広くなっていくようなものです。
そこで、においが脳に与える刺激が役に立つのではと近年注目されているのです。
においはこうした脳内の信号の道を作り、増強を促すので記憶に大きな影響を与えるのではと考えられています。
記憶・感情と香り・匂いの関係
香りによって記憶が呼び起こされるープルースト効果とは
おばあちゃん家の畳の匂い、昔付き合っていた彼氏の香水の匂い、夏の終わりの金木犀の匂い、歯医者さんのツンとしたにおい……
懐かしい香りを嗅いだとき、記憶が鮮明に呼び起こされたり、その時の気持ちが思い出されたりした経験はありませんか?
このにおいが記憶を呼び覚ます効果のことを「プルースト効果」といいます。
においの情報は、海馬を通じて大脳皮質に伝わり脳のあちこちの引き出しにしまわれます。
「においが脳に届くと、脳はこんな反応をする」でも説明した通り、においは海馬も活性化させているので、記憶と香りはセットで脳にしまわれるのです。
そして、脳のいろいろな部分にしまわれた情報は、特定のにおいが引き金となって取り出されます。
ちなみにその時の記憶だけでなく感情とも結びつくので、そのにおいが自分にとって悲しかった・不快なものである時は、暗くネガティブな気持ちを引き起こし、楽しかったこと・嬉かったことである時は、明るくポジティブな気持ちを引き起こします。
なんだかよくわからないけど懐かしくなる匂いってあるよね!
香り・匂いは原始的な脳と結びついている
嗅覚は、動物にとって、生き延びて子孫を残す上では欠かせない感覚です。
身に迫る危険を察知したり、フェロモンでつがいを見つけたり、腐った食べ物を嗅ぎ分けたり……
哺乳類のみならず虫や魚にとっても備わっている機能であることから、生物の感覚の中でももっとも原始的な機能のひとつと言えます。
実は人間も、生後間もない時期から、嗅覚を活用しているのです。
赤ちゃんは、生まれたばかりは目が見えません。
ですが、嗅覚を使って母親の乳首のある方向に向かって吸いつこうとしたり、自分の母親の匂いのするものに顔を向けたりする行動が報告されています。
また、嗅覚の研究としてよく知られているスイスのベルン大学で行われた「Tシャツ実験」があります。
男子学生に2日間、香辛料や香料を制限した状態でTシャツを着続けてもらう。
そのTシャツを箱に入れ、箱に開けられた穴から女子学生たちが匂いを嗅ぎ、好みの匂いに順位をつける。
その結果、ほとんどの女性が自分の遺伝子の型と最も離れた遺伝子型を持つ男性の匂いを好みとして選び、逆に好みでないとした匂いは自分の遺伝子型をもつ男性のものという結果であった。
その後Tシャツ実験と同じような研究論文がいくつか発表され、「遺伝子レベルで多様性を獲得しやすい異性の体臭が選択される」ことが示されたのです。
人間も、実は感知できないぐらいに嗅覚が本能的な選択に関わっていることがわかります。
まとめ
なぜ香りを嗅ぐと懐かしい記憶が思い出され、嬉しい気持ち・悲しい気持ちになるのか。
その理由をおさらいすると、
においは脳の原始的で深い部分を刺激して、記憶や感情といった本能に作用するため
記憶・感情とにおいはセットで脳に刻まれ、特定のにおいを嗅ぐとその時の思い出や気持ちが蘇るため。
以上の脳の仕組みが関わっていることがわかります。
そして香りが感情や記憶を揺さぶるということは・・・この仕組みをうまく利用して相手の心にあなたの存在を残すこともできるかも!?
参考文献
- 塩田清二.『<香り>はなぜ脳に効くのか アロマセラピーと先端医療』.NHK1出版新書
- 川端一永,吉井友季子,横山信子『医師がすすめる「アロマセラピー」決定版』.マキノ出版
- バーグ文子.『アロマテラピー精油辞典』.成美堂出版
- 和田文緒.『アロマテラピーの教科書』.新星出版社